ダンプ松本: 極悪伝説の真実




プロレス界のレジェンド、ダンプ松本。その名を知らぬ者はいないであろう。極悪同盟の総帥として君臨し、女子プロレス界に数々の伝説を残した。しかし、その華やかな舞台の裏には、知られざる苦悩と葛藤があった。

極悪同盟の誕生

1983年、ダンプ松本は極悪同盟を結成する。かつて所属していたヒールユニット「ジャングル・ジャック」を脱退し、ブル中野、アジャ・コング、そして当時駆け出しだった長与千種を迎え、華々しくデビューを果たした。極悪同盟は、ヒールらしい非情さと過激なパフォーマンスで人気を博し、女子プロレス界を席巻した。

極悪の代償

しかし、極悪同盟の成功には代償が伴った。ダンプ松本は、その激しい試合スタイルにより、身体に多くの傷を負った。また、ヒールとしての人格が定着しすぎてしまい、日常生活では素顔を見せることに苦労した。
「家に帰ると、私自身が『ダンプ松本』なのか『松本香』なのか分からなくなることがあった」とダンプ松本は当時を振り返る。

長与千種との確執

極悪同盟の中で、ダンプ松本と長与千種の間には特別な絆があった。しかし、次第に二人の確執が表面化していく。長与千種が団体内で頭角を現し始め、ダンプ松本に取って代わる存在として台頭したのだ。ライバル意識が激化した二人は、熾烈な戦いを繰り広げ、女子プロレス界に多くの名勝負を残した。
「長与千種とは、お互いに認め合ってこそ、戦える相手だった。でも、だからこそ、負けたくないという気持ちが強かった」とダンプ松本は語っている。

団体離脱と引退

1990年代に入ると、ダンプ松本は全日本女子プロレスを離脱し、フリーランスとして活動するようになる。その後、怪我や病気を理由に、2002年に引退を表明した。
「引退した時は、寂しさよりも安堵感の方が大きかった。自分の身体を限界まで酷使した分、やり切ったという思いがあった」とダンプ松本は述べている。

極悪伝説のその後

引退後も、ダンプ松本は芸能界で活躍を続け、タレントや女優としてテレビや舞台で活躍した。また、プロレスに対する情熱は今も衰えず、プロレス界のイベントや解説者としても活動している。
「プロレスは私のすべて。極悪同盟の時代も、引退した今も、私の心にプロレスが根付いている」とダンプ松本は力強く語る。
ダンプ松本が遺した極悪伝説は、女子プロレス界の永遠の宝として輝き続けるだろう。そして、その激動の人生の中に見えた、苦悩と葛藤、そしてプロレスに対する揺るぎない情熱は、多くの人々に感動を与え続けることだろう。