「落語の神様」こと桂文楽の最後の弟子であり、落語界のレジェンドとして知られる林家木久扇。1934年生まれの89歳という年齢を感じさせない、軽妙洒脱な芸風で観客を魅了し続けています。
木久扇師匠の落語は、まさに「落語の教科書」といえるほど基本に忠実で、伝統的な笑いを追求しています。しかし、ただ古臭いというのではなく、時代に合わせたアレンジやアドリブを随所に加え、現代の観客にも受け入れられるようにしています。
中でも有名なのが、お約束のギャグ「鍋奉行」。落ちこぼれの夫が、得意な鍋奉行ぶりを披露しようとする噺ですが、木久扇師匠のコミカルな表情と身振り手振りで、誰もが抱腹絶倒間違いなしです。
私が木久扇師匠に初めて出会ったのは、まだ駆け出しの頃でした。東京の寄席で前座を務めていた時、師匠が楽屋に挨拶にいらしたんです。生意気にも「落語が好きで、いつか弟子入りさせてください」とお願いしたら、「お前、やる気あるな」とにこやかに言ってくださいました。
それから数年後、師匠のもとで内弟子として修行を始めたわけですが、その時に教わったことは、今でも私の落語の根幹になっています。落語に対する真摯な姿勢、観客を笑わせるための工夫、そして何より、落語を心から愛する気持ち。木久扇師匠から受け継いだこれらのものを、これからもずっと大事にしていきたいと思っています。
近年、落語界では「若手離れ」が叫ばれています。若い人たちが寄席に足を運ぶ機会が減り、落語の継承が危ぶまれています。そんな中、木久扇師匠は、若い落語家たちを積極的に応援しています。
「落語は伝統芸能だけど、新しいものを取り入れることも大事。若い人たちが新しい感性で落語をやることで、落語界も活性化するはずだ」と語っています。木久扇師匠の言葉は、落語界の未来に希望の光を灯してくれます。
木久扇師匠は、落語家としてだけでなく、一人の人間としても尊敬できる存在です。飄々とした風貌とは裏腹に、芯が強く、自分の信念を貫いています。落語に対するこだわりもそうですが、社会問題に対してもしっかりとした意見をお持ちです。
例えば、東日本大震災の時は、被災地に足を運んで慰問落語を行いました。また、戦争や核兵器の問題にも積極的に声を上げています。木久扇師匠の生き方は、私たちに「信念を持って生きる」ことの大切さを教えてくれます。
林家木久扇は、落語界の宝であり、私たちにとっての道標です。これからも、その軽妙洒脱な芸と、温かい人間性で、私たちに笑いと感動を与え続けてくれることでしょう。