西田篤史




広島ローカルタレントの西田篤史さんが亡くなられた。享年68歳。
地元ではとても愛されていた方だったのだろう。
私が広島に単身赴任していた頃は毎週火曜日の夜11時から生放送されていた『西田篤史のシンラジラ』というRCCラジオの番組をよく聞いていた。
月曜日の夜に大阪に戻ると、録音した番組を聴くのが楽しみの一つだった。

私が広島にいたのは3年半ほどだった。その間、私は広島カープの熱狂的なファンにはなれなかった。
でも、RCCラジオとちゅーピー(マヨネーズ)だけは大好きになった。
広島にはRCCラジオとちゅーピーしかないのか、と疑いたくなるくらいローカルで愛されていた。
RCCラジオの番組はどれも面白かった。

中でも西田篤史のシンラジラは一押しだった。
西田さんは地元民との交流をとても大切にされていて、リスナーからのお便りや電話をとても丁寧に扱っていた。
番組冒頭には必ず「シ~ンパシー、シン~パシー」と流れるテーマ曲が流れた後、「こんばんは、西田篤史です」と挨拶されていた。
この「シ~ンパシー、シン~パシー」のテーマ曲が流れるのを聞くと、とても懐かしい気分になる。

西田さんは元々は生粋の広島人ではなかった。
広島県庄原市に生まれたが、ご両親の仕事の都合で、小学校低学年の時に奈良県に移り住んだ。
その後、広島修道大学に進学して広島に戻ってきた。
大学時代にはRCCラジオの『ヤングタウン』という番組に出演し、そこで頭角を現した。

西田さんの人柄を表すエピソードを一つ紹介したい。
ある日、西田さんがラジオの生放送中に、リスナーから「西田さん、最近元気ないですね。どうしたんですか?」という質問をされた。
すると西田さんは「実は、最近、父を亡くしてしまいまして…」と、涙声で答えた。
その放送を聞いていた私は、西田さんの人間味にとても感動した。

西田篤史さんは、広島ローカルタレントとして、30年以上にわたって活躍された。
広島県民に愛され続けた西田さんのご冥福をお祈りいたします。