「黄砂で空が汚れてる」と思うのは、早合点だ。
黄砂は、中国などの乾燥地帯から吹き飛ばされた砂や土埃だ。春風に乗り、日本列島を覆う。黄砂がもたらすのは、空の濁りだけではない。
黄砂は、空気をキャンバスに変えて、幻想的な絵画を描く。
黄砂がもたらすのは、移ろいゆく空の表情だ。
時折、雨が降り、空気を洗い流す。すると、鮮やかなブルーが戻ってくる。だが、それも束の間。やがて、黄砂が再び舞い戻り、空が霞み始める。
この空の移ろいは、春の訪れを告げる。黄砂舞う空は、春の風物詩なのだ。
黄砂が東京を覆うとき、私はいつも、少しセンチメンタルな気持ちになる。
この霞んだ空の下で、多くの出会いと別れがあった。黄砂が舞い上がるたびに、それらの人々を思い出す。
黄砂は、過ぎ去った時間の証。
だから、私は黄砂を憎まない。むしろ、愛おしく思う。
「黄砂 東京」は、ただの空気汚染ではない。
それは、移ろいゆく空のキャンバスであり、過ぎ去った時間の証であり、春の訪れを告げる風物詩なのだから。
今年の春、黄砂が舞う東京の空を見上げてみてほしい。
きっと、あなただけの物語が、そこに広がっているはずだから。